オウム真理教と私

既報の通り、オウム真理教の元教祖・元信者への死刑が執行されました。

私はオウム真理教の方々とは世代が少し離れているため、直接的には知らないのですが・・・さまざまなウワサは耳にして、彼らが出版していた書籍も後の時代になってから、かなりの冊数を読みました。

オウム真理教に興味があったというのではなく、水中クンバカ(水中での呼吸停止)やアンダーグラウンド・サマディ(土中での5日間の瞑想)といった過酷な修行を行った先にあったのはどういう境地だったのかを知りたかったのです。

・・・まぁ、残念ながら修行の先にあったのは現実世界との乖離であり、どんなムチャ振りであってもマハームドラー(ココロを動かさない修行)の大義名分で正当化され、魂の救済の名の下にテロを起こした(テロの犠牲者は「殺された」のではなく「救われた」という考え)、と。

彼らの主張を見ていて「ずるいなー」と思ったのは、「自分たちは原始仏教・原始ヨーガを忠実に実践しているだけ」というもの。

どんな議論でも、「仏典に書いてある」とか「あなたが知っている仏典は誤訳」というようなやり取りになっており、どこか他人任せで、思考の放棄に思えました。

たとえば、「修行を積めば超越人力(超能力)を身につけられる」というものでさえ、「なぜ」「修行を積めば」「超越人力を身につけられるのか」まで分解されることなく、「仏典にそう書いてあるから」というところで止まってしまっており、「実際に修行を積んで超越人力を身につけた(とされる)人(=グル)」の実存を根拠として、「仏典は正しい」「自分たちの修行は正しい」となっており・・・

どんどん疑うことを忘れてしまって、タントラ・ヴァジラヤーナというグルへの帰依につながっていったのかな、と。

※「マハームドラー」や「ヴァジラヤーナ」の意味は当時のオウム真理教独自の解釈です。流派によって解釈は異なります

そう。私たちは疑うことを忘れてはいけません。思考を放棄すべきではありません。そして、気づかぬうちにそうなっていないかについても、疑うべきです。

クリスタルボウルの世界もさ、「○○と言われています」みたいなの、止めましょうよ。考えて、調べるのが大切だと思うんですけど。少なくとも、やってる側は。

「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」(パンセ)

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