「言われています」という言葉の自覚なき無責任さ

たくさんの方から「私もクリスタルボウルイベントをやりたいので、いろいろと教えて欲しい」という相談を受ける中、ちょっと、いや、かなり気になったことがあるのでブログでも書いてみます。

それは「言われています」という言葉についてです。

「いま、こんな感じで告知の文章を書いているんです」と見せられたページ。しっかりとした文章の量があって、情報としての不足はないんじゃないかな?と思って読んでみたら、見事に文末が「○○と言われています」だらけでした。

  • クリスタルボウルは○○に効くと言われています
  • 古代から使われていたと言われています
  • 人体の70%は水分だと言われています
  • その水分と共鳴すると言われています

などなど・・・。

「あの、この「言われています」っていう箇所、出典は分かりますか?元ネタはどこなのか?」

「えーと、人から聞いたりネットで読んだりしたんだと思います」

「どこで得た情報なのか書かないと、情報を発信する人間としては無責任じゃないですかね・・・」

「え?そんなのムリですよ?」

「分からないことは分からないと書くべきです。分からないけどよい、っていうのは恥ずかしいことじゃないです。それか、何かの本で得た情報なら、その本を紹介するとか」

「うーん・・・」

「もっとシンプルに、自分が感動したときの話を書くのはどうでしょう?」

「うーん・・・」

ここで行き詰まってしまいました。余計なことを言ってしまったかな、とも思いましたが、無責任な発言でお金を集めるのは「先祖の霊がたたっている」という霊感商法と同じです。

「言われています」って本当に便利な言葉なんですよね。たった一人しか言ってなかったとしても、まるで世間全体がそうであるように聞こえてしまう。

でも私は、情報を発信する側として、何かを提供する側として、他人の言葉を使うばかりだと、やっぱり弱いと思うのです。

もちろん、分からないこと・解明されていないことは仕方ありません。そこは私も解明をしていきたいと画策しています。

ただ「人体の70%は水分だと言われています」というのは、調べればすぐに正解が分かることなので、「人体の70%は水分で作られています」の方が説得力がありますよね。

引用元:水と生命「人間と水」 水大事典 サントリーのエコ活 サントリー

私はいつも、こういうことを伝えています。

「クリスタルボウルの演奏を自分でもやっているのなら、何か感動があったんですよね?自分が体験したときにすごく心地よかったとか、音色に魅了されたとか。その感動を言葉にして書いてみるとよいですよ」

私の活動の根源にあるのは2004年のあの日の感動であり、同じように感動してくれる人が出てくることを目指して、日々さまざまな場所で演奏を行っています。

自分の言葉にできるように考えてみましょう。ちょっと大変かもだけど、クリスタルボウルは、それに相応するくらいの魅力を秘めています。

PAGE TOP